表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 共同親権(最新号 令和7年12月)
親権という言葉が好きになれません。子供を育てるのは権利なのでしょうか。民法が改正され、来年から、離婚した夫婦の両方に親権を認める「共同親権」を導入することになりました。
結婚して子供を作り、子供を育てる。その子が成長して、また結婚し、子供を作り、子供を育てる。何千年も続く人間のごく平凡な営みです。しかし、子供を育てるのは平凡ではありません。赤ん坊は泣きます。なぜ泣くのかわかりません。熱を出します。下痢をします。どういうわけか医者の休診日に限って具合が悪くなるように感じます。やがて幼稚園や学校に行きます。喧嘩をします。成績も心配です。大きくなると、親に育てられたのを忘れて生意気なことを言います。
悪いことばかりではありません。赤ん坊を抱いた時感じる暖かさは何とも言えません。ハイハイした時、歩き始めた時、何かしゃべり始めた時、一緒におもちゃで遊んだ時、すべてが心温まる出来事です。就職した子供が最初の給料でお菓子でも買ってきてくれたりすれば有頂天です。
不思議なことに、子育てに関しては、いやな時より嬉しかった時のほうが記憶に残るようです。そこで離婚する夫婦は子を育てる権利を主張するのでしょうか。そうではないように思えます。親の持つ子供に対する自然な愛情が、子供を育てる責任を自分が持とうという気持ちを生むのだと思います。権利ではありません。
赤ん坊の集中治療室に入ったことがあります。保育器がずらっと並び、そのなかに、未熟児、障碍児などが、何本もの管につながれて入っています。中には生まれながらに奇形で、素人目にもこれは助からないと思える赤ん坊もいました。ところがそういう子に限って、お母さんが付きっ切りで、出来ることは何もないのでしょう、じっと座っています。彼女たちは母親の権利でそこに座っているわけではありません。お腹を痛めた子供に対する愛情以外の何物でもありません。深い感銘を受けました。
最近、子供のある女性が、子供の父親ではない男性と結婚はあるいは同棲したとき、男がその連れ子を虐待したり殺したりする記事をよく見かけます。母親はそれを止めないばかりか、時に手助けをするといいます。男女の仲は摩訶不思議ですが、こういう母は子供を育てる責務を放棄しています。
子どもにとって、両親の愛情のもとに育つのが理想です。故あって離婚に至ったなら、たとえ憎み合っていても、子育てに何とか協力してもらいたいものです。両親ともに子供を育てる義務があります。それが今回の共同親権という法改正の趣旨だと思います。ですから、共同親権ではなく、共同親責と呼びたいのです。
年寄りから見ると、近頃の若者は、簡単に離婚するようです。ところが少したって話を聞くと、離婚は軽率だった、もう少し賢かったら、という話しを聞くことがあります。子供をなした仲ならば、子供のためにも、離婚を最後の最後の選択にしてもらいたいものです。両親そろって子どもを育てる責務を子供のために考えてほしいのです。
石川恒彦