表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > チャンギー(最新号 令和7年8月)
照栄院の本堂と久遠林のあいだの石段を上ると、妙見堂の境内です。お堂の手前、西側に「シンガポール・チャンギー殉難者慰霊碑」があります。これは、第二次世界大戦ののち、チャンギー刑務所で、BC級戦争犯罪人(戦犯)として裁かれ、刑死した人を慰める石碑です。
照栄院の先々代の住職は、このチャンギー刑務所で、教誨師を務めました。その縁でこの碑が立ちました。
日本軍は勇猛でしたが、一面、敵に対して残虐でした。投降した敵兵に暴行を加え、衣食住すべてに貧弱な待遇しか与えませんでした。アメリカ映画「大脱走」と「戦場に架ける橋」を見比べるとよくわかります。「大脱走」はドイツ軍に捕らわれた連合軍の兵士が脱走を企てる物語ですが、そこで、捕らわれた兵士たちは、自由こそないが、まあまあ衣食住に足りた生活を送っています。いっぽう、「戦場に架ける橋」は、イギリス軍の降伏に伴い日本軍の捕虜になった兵士たちの話ですが、その待遇は決して人間的とは言えません。どちらも戦勝国の視点から作られた映画ですが、捕虜の処遇については、真実に近いものがあるように思えます。
日本の敗戦後、戦勝国は軍事法廷を設け、日本兵の残虐行為を裁きました。しかし俄か仕立ての裁判でしたし、復讐心にも捕らわれていましたので、多くの冤罪あるいは冤罪に近い判決も多々ありました。信頼に欠ける証言が取り上げられましたし、上官が逃げたり、死んでいたりすると部下がその罪を負わされました。特に日本軍の「上官の命令は天皇陛下の命令だ」という文化が生んだ上官に逆らえなかった下士官や兵士の運命は悲惨でした。
戦争犯罪人という名は恐ろしいものがありますが、裁判の実態が知られるようになると、戦犯、ことにBC級戦犯に対して同情が湧くようになりました。おかしなことに、本当に戦犯の名にふさわしい人も、名誉を回復されたようになりました。杜撰な裁判が生んだ笑えない喜劇です。
チャンギーで刑死した人たちの遺骨は、遺族に返されませんでした。刑務所の裏手に埋められたようです。有志が場所を特定して、小さな石碑を立てました。
わたしの妹夫婦は、最近、そこにお参りに行きました。近くにある「チャンギー礼拝堂博物館」にも参りました。案内書をもらってきてくれました。それによると、この施設は、前からある礼拝堂を、2021年に、シンガポール政府が改修新築したもので、第二次世界大戦中、日本軍によってチャンギー刑務所に収容されていた、イギリス人、オーストラリア人そしてシンガポール人が、いかに生き延びたかを展示しているということです。
虐待には触れていません。文献を調べますと、チャンギー収容所の捕虜は人数があまりに多くて、日本軍の手に負えないので、捕虜たちにある程度の運営をゆだねていたようです。その結果、ここでは他の収容所に比べて、格段に死亡者が少なかったということです。
それでも。シンガポールでは、中国人の反日を疑い、大量の中国人を虐殺しました。シンガポール政府の慰霊施設がそれに触れないのに公正を感じました。戦犯裁判は瑕疵がありました。しかし事実として、罪を日本が犯したことを忘れてはいけないと思います。
石川恒彦