表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 首が曲がる(平成19年11月)
二階から降りてくると、妻が、あ!首が曲がってると言いました。ここ数日、腰が妙に痛く、医者にも通っていました。どきっとして、鏡を見ました。何でもありません。妻を見ると、妻は黙って洋服の襟を直してくれました。襟を間違えて首と言ったのでした。
こんなことはしょっちゅうです。だいたい、私も、双子の息子、たつと、たかの名前を間違わずに言ったことがありません。息子たちにとっては一大事のようで、いつも怒っていました。それが、何かの集まりで、親戚の少ない人は間違われることが少なく、大家族では当たり前のことだと気がついて、怒ることが少なくなりました。間違えられたことのない一人っ子たちに羨ましがられたようです。
人間は間違えても修正ができます。言葉を修正するまでもなく、ある間違った発言を聞いた人は、その場の雰囲気を読んで、間違った発言を自動的に修正して、正しく認識できます。たつと呼ばれたたかは、自分のことだと判断して、返事をします。コンピューターの場合はそうもいかない時があります。大銀行のネットワークのプログラムが一字間違っていたために大混乱に陥りました。
先日、長期出張する人が、プロバイダーとの契約を解除しました。残る家族は電話を使いますので、そのあとNTTに電話して、インターネットは使わなくなる、電話だけ残したいと、相談したところ、料金的にも機能的にも、今のままにしておいたほうがいいことがわかりました。そこで、プロバイダーに電話して、解除を停止してもらおうとしたところ、いったん解除した契約は元に戻せないと言われたそうです。別に受け付けの人が不親切なわけではなく、コンピューターの設定がそうなっているからだということでした。二度の電話の間はほんの数十分、もし、これがミサイルのボタンだったらどうなったことでしょう。
現代社会は間違いに不寛容になっているような気がします。おそらくコンピューター文化がおおいに影響していると思います。
石川恒彦