表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > スケボー(令和3年8月)
東京オリンピック2020。スケートボード・ストリートで、日本の若い男女がそれぞれ金メダルを取りました。実況は見ていなかったので、ニュースで知りました。困ったことに、アナウンサーや解説者が、すごい技ですと、興奮して何度も叫ぶのに、私には、どこがすごいのかさっぱりわかりませんでした。スロービデオを見て、やっと、確かにすごいのかなと感心しました。
驚いたのは、この競技で日本人がメダルを取ったことです。日本は、スケボーを楽しむ環境にないと思っていたからです。
先ず、騒音です。最近の初心者は、柔らかい大きな車輪の付いたボードを選ぶそうで、前ほど大きな音を立てなくなっているそうです。それでも、音はしますので苦情が絶えないといいます。スケボーの音を聞いたら、110通報しようというウェブサイトでの呼びかけもあります。日本人は、騒音にやかましくなっていて、保育園を新設しようとすると、住民から、子供の声がうるさいのは困るといって、反対運動がおこります。
私の孫娘が、1年ほど前に、ボードを買ってもらい、スケボーを始めました。お寺の第2駐車場で、許可を得て、練習を始めたのですが、すぐ、お寺に苦情の電話があって、続けられませんでした。私の家の近所の区立会館の前の道は、緩い坂になっていて、交通量も少なく、スケボーの初心者にはごくいい練習場に見えます。時々、若い子のグループが練習を始めますが、2,3日で来なくなります。どうも、誰かに禁止されるようなのです。別のグループが来ても同様です。
場所です。外国の映像で、広い歩道をスケボーで移動している姿を見ることがあります。日本では考えられません。歩道はついていても、人がやっとすれ違える程度のものです。歩道の付いていない道は、車がすれ違うのがやっとです。そんなところでスケボーを使うのは、危険この上ありません。
最近は、スケートパークというスケートボードが楽しめる施設ができ始めているそうです。日本中に400か所以上あるといいますが、東京都内で、無料で遊べる施設は、10か所ぐらいです。
ここまで書いて、日本の屋外競技は、肩身が狭いなと気が付きました。100mをまっすぐ駆けられる広場はなかなかありません。たいていの広場は、キャッチボールも球蹴りも禁止されています。砲丸投げややり投げに興味を持っても、よっぽど幸運でなければ、練習場は見つかりません。
スケボーは、コンクリートの街に住む若者たちの間から、特別の指導者や発案者なしに、生まれた競技です。ちょうどフットボールや野球が緑の広場で働く人たちの間で生まれたようにです。その競技に将来性を認めた人たちが、規則を作り施設を作って、発達しました。その誕生の歴史から、フットボールや野球は芝生の広場を必要とします、スケボーはコンクリートの広場を必要とします。日本はそのどちらも欠けているように見えます。
あまりに商業化したオリンピックには、違和感を覚えています。オリンピックで勝つために能力以上の技を求める指導者や団体があって、競技者の将来を摘んでしまった事件が報道されています。
今回のスケボーのニュースを見ていると、選手同士が楽しそうにおしゃべりをしています。解説者によれば、選手同士が互いに技の秘訣を教えあうのは、スケボー文化の一部だといいます。若い競技の故でしょう。やがて、国同士団体同士の競争が激しくなれば、オリンピックの金メダルを旗印に、選手の自由はもっと制限されたものになるでしょう。何事も努力がなければ一流になれません。しかし金メダルだけが目標となっては、寂しくはないでしょうか。
競技を純粋に楽しむ広い裾野から、時に天才が表れて、世界を驚かすのが凡人の楽しみです。日本はその裾野を形成する環境に恵まれているとは言えません。私の理想の環境は、朝、家を出た生徒がボールを蹴りながら学校に行き、校門を入ると、校長室めがけて、シュート! ガチャン!!
石川恒彦