表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > アナログ(令和5年2月)
家内が、夜中に激しく転んで、救急車を呼びました。転び方が悪かったらしく、左腕を痛めたようでした。
救急車はすぐ来てくれましたが、報道されているように、搬送先がなかなか決まりません。以前から通っている病院を希望したのですが、とても駄目でした。救急車には、長男の嫁が乗ってくれました。ずいぶん時間がたちましたが、救急隊員が頑張ってくれたのでしょう、やっと行き先が決まったようで、突然、サイレンを鳴らして出発しました。
間もなく長男から連絡があり、なんと家内は近所の病院に受け入れられたとのことです。あまりぱっとしない病院で、ちょっと心配な感じがしましたが、近くなのでありがたいとも思いました。
長男の車で帰ってきました。救急室の医師の話では、左腕の剥離骨折だが、どう治療するかは、明日、整形の先生と相談してくれとのことでした。三角巾で腕をつってくれました。
あくる日は私が付き添って病院に行きました。整形外科は空いていて、すぐ呼ばれました。あんまり評判がよくないのかなと思いました。先生は、レントゲン写真から目を離し、家内の顔を見、膝に触りました。
「お薬手帳はありますか?」
手帳をしばし見ていた先生は、
「ああ、やっぱり。血をサラサラさせる薬を飲んでいるので、あちこちの皮膚が赤くなっていますが、心配いりません。骨のほうは、手術もできますが、お年ですから、固まるのを待ったほうがいいでしょう。一週間ぐらいで痛みが引いて、三週間ぐらいで治ります。少し後遺症が残りますが、たいしたことはないと思います。また来週来てください。痛み止めを出しておきます」
驚いたことには、先生は、ボールペンで、カルテに記入しています。処方箋も手書きでした。会計は、夕べの救急治療の精算もあって時間がかかりました。
その晩、家内はまた転びました。手が使えないので、床に顔をぶつけたようですが、ほかは大したことなさそうでした。明くる朝、顔を見ると少し腫れていました。目の周りがひどそうでしたが、心配しませんでした。それが、夜になると、瞼がひどく晴れてきました。あくる朝は、もう目が明けられませんでした。
大急ぎで、あの病院に行きました。眼科で見てもらうことになりました。眼科も空いていて、すぐに見てもらえました。検査機械はいろいろありましたが、パソコンは置いてないようでした。とても丁寧な診察でした。そのあと、CTを地下室で取って、眼科前で待っていると、先生がどこかに行ってしまいました。しばらくすると先生が戻ってきて、
「いま、CTを見てきましたが、心配はいりません」
この病院は、20世紀のままのアナログでした。娘に話すと、あそこは彼女の娘のころからボロだったといいます。それでも不思議に親近感を覚えました。多分、先生も事務員も、パソコンの画面ではなく、患者の顔を見ながら話をしてくれたからだと思います。
石川恒彦