表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 退院(令和5年11月)
一週間の予定で入った病院から、ひと月たって、やっと退院できました。といっても、手術の副作用が完治したわけではなく、これから二週間ごとに診察を受けなくてはなりません。困ったのは、長い入院で、体力も気力もすっかり衰えてしまったことです。
家族にいろいろ迷惑をかけましたが、一番の被害者は、わたしの小さな畑かも知れません。草はぼうぼう、ヒマワリは倒れかけ、百日草は葉が真っ白になってしまいました。すぐに手入れをしなければいけなかったのですが、ぼーっと見ているばかりでした。春のために種を蒔いたり苗を植えたりするのもすっかり遅れてしまいました。
体力の衰えより、気力の衰えのほうが、いやなものです。朝ご飯が終わって、歯を磨きに行こうと思うのですが、立ち上がるのが億劫なのです。一日中、次は何をしようと考えるのですが、すぐに始めたことはありません。
隠居なのだから、なんでもゆっくりやればいいというのが、世間の通り相場かも知れませんが、何かできないというのは不愉快なものです。だいたい、隠居をするとき、これからは好きなことをして過ごそうと考えていたのに、好きなことをできずに過ごしています。
大好きなお酒を朝から飲んでやろうと周りに言っていたのですが、どうもそうはいきません。毎日碁を打とうと望んでいたのですが、碁の仲間は、病気になったり亡くなってしまい、コロナの流行もあって、とんとご無沙汰です。
旅行の良い連れだった家内は、車いすになってしまい、娘たちの介助がなければ、どこにも行けません。国内もごく近間、海外なんて考えられません。介護タクシーに専ら頼っています。園芸だけが楽しみでしたが、今回の入院で、すっかり自信を無くしました。
人は生まれて成長し、頂上に達すると衰えていき、やがて死を迎えることはよく解っています。しかし、それはおぼろげながら体力のことだと考えていた節があります。気力が減退するとは、あまり考えませんでした。
よくよく考えれば、体力とともに気力が衰えるのは、悪くありません。気力満々の青年が、不治の病にかかったとき、その懊悩はいかばかりでしょう。それに引き換え、体力の衰えとともに気力が衰えていく老人にとって、死を受け入れることはそんなに難しいことではないように思えます。死を意識することさえないのかも知れません。
近代の文明の発達により人間の寿命は画期的に伸びました。人生60年といっていた言葉は死語になりました。60で命を終えるとき、体は衰えても気力は充分だったのではないでしょうか。それだけ死は恐れるものだったと想像できます。
鎌倉時代を生きた西行法師は
「願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」
と読みましたが、当時としては長生きの73でなくなりました。安心の様子がうかがえます。
ちょっとうら憶えですが、アメリカ先住民の充分に生きた老人の言葉があります。
「今日はいい日だ、死ぬのにいい」
せっかく伸びた寿命を、戦争や事故で、失いたくないものです。
石川恒彦