表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 忘れる(令和6年1月)
朝起きて、着替えようとして机の上を見ると、クリームのふたが開けっ放しです。最近乾燥で体がかゆいので、保湿クリームを体に塗って寝たのですが、ふたを閉めるのを忘れたんですね。年のせいで、忘れることが多くなって困っています。
胃の手術をしたあと、胃薬が処方されています。食前に飲むよう指示されているのですが、しょっちゅう忘れます。ご飯を食べ始めてから飲んでいいか,医者に聞くと、なるべく忘れないようにといいます。看護師は、食後に飲んでも同じよといいます。薬剤師に聞くと、食前30分に飲むと、よく効くといいます。朝は注意していますから、あまり忘れないのですが、夕食前がいけません。今夜は何を飲もうかと、お酒を探しているうちに、忘れてしまうんですね。一口飲んだ後、あ、いけないと思い出します。しょうがないので、酒を水代わりに薬を飲みます。なにか害がないかと、少し心配しています。忘れないようにと、食卓の上に「食前薬」と大きく書いた紙を置いているのですが、どうも老眼には、「食前酒」と映るようなのです。
朝晩、血圧を測ることになっているのですが、それもしょっちゅう忘れます。特に酒を多めに飲んだ夜はいけません。まあ、酒を飲んだ後は、血圧が下がりますので、計ってもしょうがないと、こちらは達観しています。
目が覚めると暖かい日がありました。居間に降りていくと、夕べ暖房を消し忘れていたことに気が付きました。
極めつけは最近起こりました。本を読んでいるとき、スマートホンが鳴りました。本にしおりを挟んで閉じ、電話に出ました。用件がすんでスマートホンを置き、読みかけの本を読もうとしたら、本がありません。よくよく見ると、今置いたスマートホンの下にありました。
忘れたことを書こうとしたら、きりがありません。たぶん、忘れたことを忘れています。
おかしなことに、忘れていたことを思い出す時があります。今日薬を飲んだかどうか思い出せなくても、寝るときになって、あ、友達に電話するの忘れたと、思い出す時があります。
警察の捜査が入りそうになると、後ろめたい人は、コンピューターの記録を消します。しかし、コンピューターの専門家が調べると、消したはずの記録が出てくるそうです。記録を完全に消すのは、非常に難しいといいます。人間の頭も同様で、日々新しい経験をして記憶に残します。機械と違って脳は記憶に残すか残さないか判断しているようです。年を取ると、記憶容量が少なくなり、判断力も衰えてくるので、最近の経験を記憶しなくなり忘れてしまうそうです。
忘れるのは悪くありません。忘れたいのに忘れられず、胸を痛めるときがあります。一番いけないのは、なんのきっかけもなく、急に昔の恥ずかしいことを思い出すときです。頼られたのに親切にしてあげられなかった思い出などは苦々しいものです。その時は事情があったのでしょうが、あとから思い出すと、親切にできなかったことだけが鮮明なのです。
老い先短い身は、思い出すのが楽しい記憶を作れるよう努めたいものです。たとえ忘れても頭のどこかに残ってくれると考えて、心豊かに過ごしたいものです。
石川恒彦