表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 民主主義への脅威(平成20年6月)
長崎市長選に立候補していた現職市長を殺した男が死刑判決を受けました。死刑は普通、複数の殺人被害者がいる場合に出るもので、単独の被害者で死刑判決が出るのは珍しいと話題になりました。判決は、被害者の数や、この犯罪の動機や手口よりも、民主主義の根幹である、選挙を妨害したことを重く見て、死刑を言い渡しました。
私は死刑制度には反対ですが、立候補者の殺害に最高刑を当てたのは見識であると思いました。
しかし、この判決に疑問の声も上がりました。例えば、作家の高村薫さんは、5月29日付の朝日新聞朝刊で、大要、次のように述べています。
この犯罪の目的は選挙妨害ではない。暴力団幹部の犯人が、市の公共事業から締め出されたことに対する私怨が動機だ。それがたまたま選挙期間中に重なっただけだ。綿密に判断すべきは、「被告がどのように公共事業にかかわり、どのようなつながりで仕事にありつき、それがどのようにして行き詰ったのか。そして、なぜ市長を殺そうと決意したのか」、その経緯のほうだ。この事件を民主主義への脅威と短絡するのには違和感を覚える。
高村さんによれば、これらの点に対する判決文の分析は不十分だったということです。もしそうであるなら、再発防止の点からみても、判決には欠陥があったのかもしれません。
しかし、私が重視したいのは、被害者の市長が市長選挙に立候補していることを被告が認識していた事実です。
代議制民主主義をとる限り、選挙は最も大事な政治活動です。優れた人々が代議員となれるような制度が必要です。立候補者たちの精神的肉体的労苦は絶大です。そのうえ選挙に出ても受かっても、身体的受難が待っているとしたら、君子の立候補は期待できません。彼らの生命は特別な保護を受けるべきだと思うのです。
民主主義を支える職業に就く人々は他にもいます。
例えば、法の番人たちです。警察官、弁護士、裁判官などです。
例えば、報道人です。記者や評論家、カメラマンやアナウンサーなどです。
民主主義は歴史の究極だという人もいます。しかし、民主主義社会が実現したとしても、自動的に、理想社会が実現するわけではありません。そこには必ず、犯罪者もいれば、特定の利益集団のために働きがちな政府もあります。湾岸戦争やイラク戦争を始めるとき、二つのブッシュ政権が、大掛かりな世論操作を行ったことは、今日では周知の事実です。公正な捜査や自由な報道の必要性を示しています。
代議士を含め、必ずしも最善の人々がこれらの職に就いているわけではありません。それでも私はこれらの職業に就く人々は特別に保護されるべきだと考えています。彼らが能力いっぱいに働けることが民主主義社会の利益となると思います。民主主義は、法の支配、言論の自由、公正な選挙などに支えられています。これらを支える職業に就く人々を、誘惑したり脅迫したりすれば、強力な罰が待っていることが周知されれば、多少なりとも安心と誇りを彼らに提供できると思うのです。ひいては、民主主義の発展に資すると思うのです。
勿論、彼らは高い職業倫理が要求されます。国民から提供された特別の地位を汚すときは、彼らに重い罰を課さねばなりません。
警察庁長官が襲われ新聞記者が殺されました。犯人はまだ捕まっていません。動機は私怨や痴情だったかもしれません。それでも、捜査に特に力を入れ、下手人を探し出し、法律で許される最高刑を課すべきです。
石川恒彦