表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 美し森山(平成25年5月)
山梨県北杜市と長野県南牧村にかけての高原を旅行しました。
天気に恵まれ、八ヶ岳、甲斐駒ケ岳、富士山、遠く秩父連山と、この地方で見る事のできるすべての山にお目にかかりました。高い山は雪を頂き、低い山も新緑にはもう少し、高原の木々は芽を吹き始めていましたが、カラマツなどはまだ枯れ枝のままでした。
夕方、カラマツ林を走っていると、雪がぱらつき、小渕沢で借りた車は、はたして冬タイヤを履いているのかとちょっと心配になりました。大事無く宿に帰り、その夜は、地元産の葡萄酒をたっぷり堪能しました。
楽しい国内旅行で、いつも気になることがあります。折角の景勝を、人間がダメにしているのです。
街道を走ると、道の両側に、景色に合わない建物が続く事があります。主要道をそれて、村に入っても、もう、昔の藁ぶき屋根の家などありません。無趣味な家が建ち、しかも、人影がありません。役場や公民館だけが目立ちます。遠くに見える美しい景色に逆らうかのように雑然としています。名も知らぬ場所に車を止めて、あたりを散策しようなどという気持ちになれません。
別荘地も同様です。なんであんなに軒と軒をくっつけなければならないのでしょう。どの家も、別荘かくあるべしという先入観にとらわれて、ひ弱で使いにくそうに見えます。何年も人の利用が無いような、壊れかかった別荘も目立ちます。
観光名所に行くと、もっと心を萎えさせることがあります。たとえば、美し森山でした。広い無料駐車場はありがたいのですが、どこか寒々としています。案内所と売店の建物が目立って、肝心の美し森山にどう入っていくのかわかりません。駐車場からは、建物が邪魔で、美し森山の全体が見えないように設計されています。木製の階段は広く緩やかで、気持ちがいいのですが、至る所にソフトクリームの宣伝看板が立っています。頂上には展望台がありますが、周りは荒れています。敷石は乱れ、景色を説明する看板は壊れています。無粋な扉を開けて中に入ると売店です。二階の展望台に上がる階段は、商品の裏に隠れています。
二階は、殺風景で、椅子や机が、乱雑に置かれているだけです。ガラスは汚れて、景色を見るどころではありません。
呼び物のレンゲツツジの群落が花を付けるのは、もう少し時がたってからです。準備が出来ていなかったのでしょうか。それでも展望台の前から見る景色は抜群でした。迫る八ヶ岳、遠くに浮かぶ富士山、絶景でした。
中途半端なのです。雇用の確保のために、案内所と売店を作ろう。客を呼ぶために展望台を作ろう。
自然を守る姿勢を見せなければならないから、施設は最小限なものにしよう。そんな発想の下にできた施設のように思えてきます。結果は山が荒れ、建物は経年変化に耐えられなくなっています。北杜市のホームページには、美し森山ではなく、美し森展望台が紹介されています。
美し森山だけではありません。日本中の景勝地を痛めているのが、売店、食堂、展望台、そして駐車場です。駐車場はもっと目立たなく作るべきでしょう。所によっては、自動車の進入を制限すべきでしょう。老人や身体障害者のことを考えれば、極端な制限は出来ません。
美しい自然に錦上華を添える事が出来ると万人が認める以外は、売店等は禁ずべきです。美しい八ヶ岳の山麓といえどもすべての場所がきれいなわけではありません。殺風景な過疎の村に新しい観光村を作ったらどうでしょう。自然を殺すのではなく、自然に新しい魅力を加えるような施設です。林、草原、田畑を手入れし、旅館、食堂、売店、運動施設を作ります。すべて本格的なものにします。人を引き付け、雇用も生みます。日本中の有名観光地が、観光施設の充実にともない、かえって魅力を失っていった愚を避けられるのではないでしょうか。
石川恒彦