表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 新しい中世II(平成26年11月)
数年前、この欄で、新しい中世を提案しました。先進国の経済成長は止まりつつあるように見えます。
景気刺激策による好景気は見かけだけのもので、金持ちはより金持ちになりましたが、庶民の生活は、相対的に貧乏になり、お金を使わなくなりました。そこで、経済は停滞したままです。新興国の経済は順調に見えますが、やがて資源の枯渇に直面します。ここは成長なき繁栄を探る時です。中世は経済が停滞していたと言われます。それが悲惨だったのは、権力と富が偏在していたからです。新しい中世は、権力と富が、より公平に行きわたる世界です。そういう社会を目指すべきではないかと提案しました。どちらかと言えば、奇矯な提案でしたので、読者は奇異の念を抱かれたと思います。
勉強不足で知らなかったのですが、ここ数年、定常型社会が、一部の識者の間で、論議されていると言います。劇作家の山崎正和氏の、読売新聞への寄稿で知りました。山崎氏によれば、定常型社会とは、人口と経済の成長が限界に達した社会のことです。氏は三人の論者とその考えを紹介しています。
科学史家の広井良典氏は、遅くとも21世紀後半には、人口と資源消費は均衡点に達すると考え、資源を浪費しない、医療、教育、娯楽、文化の分野の発展に期待している。
物理学者の岸田一隆氏は、近代300年の変化は、それ以前の1万年に匹敵すると指摘し、自然の再生産や浄化の能力を完全に圧倒してしまったという。ただ、科学技術の発達により、その痛みを緩和できる可能性はあるとする。
経済学者の水野和夫氏は、国の実物経済が盛んになる時は、利潤率は上がるが、金融資本が強くなると利潤が下がり、その経済は衰退に向かう。では、新興国に期待できるかと言えば、資源枯渇にやがて直面するだろう。既に定常化しつつある日本こそ、成長なき社会の設計に転じるべきだ。
以上は山崎氏が、3氏の著作から要約したものを、さらに私が要約したものです。著者たちの真意が伝わっているか、少し心配です。
山崎氏自身は、広井氏に共感しつつ、福祉充実が必要と考えているようです。
それにしても、今日よりは明日が豊かな社会になっていると期待する時代は過ぎ去ったように思えます。
よくよく考えれば、物質的豊かさが、心の豊かさに結びついているわけではありません。ほんの半世紀前には、自動車を持つことは憧れでしたが、大部分の人は、そういう日が来るとは考えませんでした。それが今では自家用車は普通です。ところが最近、多くの若者が、自動車が生活の必需品とは考えなくなっています。
通信機器の発達で、友人知人との連絡は、随分楽になりました。しかしうわべだけの付き合いになっているように思えます。昔の書簡集を見ると、その濃密な内容に驚く事があります。
貧乏がよいわけではありません。自ら財産を捨てて道を求める人を除けば、明日の食事を心配する人々は幸福になれません。自由な社会では、富を求めて成功する人と、落ちこぼれる人が必ずいます。
定常型社会では、職に恵まれない人も増えてくるでしょう。隣の人が貧乏にあがいているのを見るのは健康に良くありません。また社会も混乱するでしょう。そこで福祉社会の設計です。
一案があります。予想は困難ですが、超金持ち10%、働き蜂70%、無職20%の社会が出来ると考えてみます。教育や建設には定率の個人所得税、法人税を当てます。年金と医療には25%の消費税を積み立てます。
保険料は徐々にやめます。年金の給付は所得税の納付累計を逆累進して決めます。20%の生活保護を必要としている人には、超金持ちから福祉税を徴収します。生活保護には一人500万円が必要と計算しますと、超金持ちの負担は1千万円に過ぎません。
厄介なのは、金持ちや法人が海外へ租税回避することです。現在世界中の政府が収入不足に悩んでいます。そこで、国際標準課税条約を結んで、税収を確保します。
アメリカの企業が大反対するでしょうが、アメリカ政府も税収不足です。可能性はあります。
石川恒彦