表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 戦争と仏教(平成29年11月)
外国旅行をするときには、現地に関する本を読んで行きます。ブータンに先日行ってきましたが、その時も、何冊か本を買い込みました。その中で、今枝由郎というかたの「ブータン――変貌するヒマラヤの仏教王国」を読み始めました。読み進めると,どうもこのかたはブータンべったりのようで、つまらなくなり、読むのをやめてしまいました。失敗でした。
現在の首都ティンプーから、昔の冬の首都プナカに行くには、ドチュラ峠を通ります。大変景色のいいところと知られていますが、当日は、雨で、何も見えませんでした。カフェでコーヒーとビスケットをいただき一休み、外に出て、108の仏塔のある塚にお参りしました。これは、2003年に、ブータンに逃げ込んできた、インドの反政府ゲリラと戦い、勝利を収めた記念に建てられたといいます。ブータン風の仏塔で、一つ一つの仏塔の四方の壁には高僧の小さな絵がはめ込まれていました。
日本に帰り、何気なく、今枝さんの本の続きを読みました。すると、この仏塔について、興味ある記事にぶつかりました。以下は、今枝さんによります。
インドからの分離独立を目指すアッサム州のゲリラが、インド軍に追われ、ブータンの南部に逃れてきました。インドは、ゲリラをブータンから駆逐するように要求してきました。1997年から2003年にかけて、国王自らが、丸腰で31のキャンプを訪れて、退去を説得しましたが、ゲリラは応じなかったといいます。業をにやしたインド政府は、3万の兵をもって、ブータンに入り、ゲリラを一掃すると通告してきました。
主権国家の一大事です。国王は義勇兵6736人をひきいて親征しました。出発に先立ち、高僧が立って、「あなた方は兵士といえども、慈悲心を持たねばならず、敵も、他の人間と同じように扱わねばならない。殺生が許されると思ってはならない」と訓戒したそうです。
作戦は、二日で終わり、ゲリラは一掃されました。義勇兵たちがどのように戦ったかは知られていませんが、今に至るも、ゲリラからの報復攻撃は一度もなかったといいます。
国王は、帰還に際し、「戦闘が終わったからといって、喜ぶ理由は何もない。軍事的基準からして、勝利は速やかで、戦果は優れたものであった。しかし、戦争行為において誉れとできるものは何一つない」と訓示しました。
ドチュラ峠の塚は、王妃が建立しました。彼女は書きます。
「勝どきもなく、戦勝式典もありませんでした。それは、ブータン人気質ではありません。わたしたちは、バターランプを灯し、戦争で命を落とした11名のブータン人兵士と、同じく戦死したゲリラたちの冥福を祈りました」
塚から離れたところに、きれいなお堂がありました。小雨の中、石段を上がるのを面倒くさがり、お参りしませんでした。
今枝さんによると、お堂の一室にゲリラから取り上げた武器が吊り下げられているそうです。勝利をもたらした護法尊にささげられたものです。それだけではなく、チベット系仏教の考えでは、いったん調伏された敵は、変身して護法尊となるといいます。アッサム・ゲリラも今や護法尊なのです。
お参りできなかったことを悔やんでいます。
石川恒彦