表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 老境を楽しむ(平成31年2月)
2年ほど前、夜道を速足で歩いているつもりでした。すると、学生風の女性に追い抜かれました。よく見ると、彼女は別に急いで歩いている様子ではありません。歩数は、私より少ないくらいです。歩幅が違うのです。年を取って、歩幅がせまくなったのだと、思い知らされました。
手先も不器用になりました。本を読んでいて、ページをめくろうとしても、簡単にはできません。くっついたページをごしごしこすって、やっとのことで、次のページにたどり着けることも珍しくありません。ご飯を食べても、よくこぼすようになりました。箸の先から、どうゆうわけか食べものが落ちます。口に入れようとして、失敗するときもあります。妻にお醤油を渡そうとして、グラスを倒してしまい、テーブルが水だらけになります。食事の後、どちらの席のほうがきれいか比べるのが、最近の習慣です。
私のワープロは、ローマ字入力です。ところが左手の小指の力がなくなりました。「わたし」と打ったつもりが、aを打ちそこなって「wtし」になってしまいます。文章がスラスラ出てきて、調子よく打っているときにかぎり、a抜きになりますので、困ってしまいます。
目も耳も駄目になりました。一番困るのは、頻尿気味なことです。外に出たときは、手洗いの場所を先ず確認します。近所のコンビニや、図書館、公民館の手洗いの位置は、すっかり頭に入っています。以前は、コンビニに入ると、何かお菓子を買ってから、手洗いを借りましたが、今では、そんなことをしていては、間に合いそうにありません。カウンターに、手洗いを借りるよと断るや、ダッシュします。そのうえ、図図しくなって、終わると、ありがとうと言って、何も買わずに店を出ます。そのうち町中に手配書が回って、コンビニには入れなくなるかもしれません。ある友人は、警察署がいいといっていましたが、どうもあすこは入る気がしません。
去年の暮れから、妻と私は、腕を組んで街を歩いています。二人とも、滑ったり蹴躓いたりすることが多くなったからです。ちょっと面はよい感じです。このことを年賀状に書いて親しい友達に知らせました。返事がありました。
「私たちも、手をつないで歩くようになりました。年を取るのも悪くありません」
ハッとしました。老境は受け入れるものではなく、楽しむものだと。若い二人が手をつなぐのは、愛情でしょう。年寄が手をつないでいれば、信頼です。また楽しからずや。
そんなことを考えながら、畑の手入れをしていると、よく通る老人を見て、また、ハッととしました。彼は自転車の前後に空き缶の入った大きな袋をつけて走って行きます。時々は、寺の脇の道路で、空き缶の整理をしていくこともあります。どうやら、空き缶の整理は音を立てるので、毎日違う場所で整理をしているようです。彼が去った後を見ると、きれいに掃除がしてあります。彼が、誠実に仕事をしてきたことを伺えさせます。何がこの老人を労苦の多い仕事につかせたのでしょう。
私は、手をつないで歩ける幸せを楽しみたいと思っています。同時に、貧困、不和、病気などで、老境を楽しめない人々がいるのを忘れてはいけないと、肝に銘じています。
石川恒彦