表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 香港再訪(平成31年3月)
50年ぶりに香港に行きました。私の最初の海外旅行は、船でインド行きでした。その途中、最初に寄ったのが香港でした。みすぼらしい貨客船を降りると、ピカピカのターミナルビルがあって、びっくりしたことを覚えています。そろそろ誰でも飛行機で移動する時代になっていましたが、貧乏旅行をする若者はまだ船を利用していました。それから何度か香港に立ち寄りましたが、その時は飛行機でした。タイやインドに行く直行便はまだなく、香港やシンガポールで給油していましたので、一晩そこに宿を取り、あくる日の便で先に進むことができました。直行便が飛ぶようになってからは、香港に立ち寄ることもなくなりました。
香港が中国に返還され、最近では日に日に中国化していると聞き、完全に中国化する前に、懐かしの香港を見ておこうと思い立ったのです。
宿で荷をほどくと、早速、外航船桟橋のオーシャンターミナルに行ってみました。春節(旧正月)の名残でしょうか、ものすごい人です。雑踏についてターミナルビルに入ると、そこは、巨大なショッピングセンターになっていました。乗船口を探してもわかりません。親切そうな店員に、船にはどっちに行くのかと聞くと、ターミナルビルの一番先だといいます。桟橋のビルですから、大変長く、ずいぶん歩いて先端に着きました。外に出ると、そこは展望デッキで、対岸の百万ドルの夜景がきれいに見えました。このターミナルは、九龍側にありますので、向こうは香港島です。
桟橋の両側に、客船が泊まっていました。ヨーロッパ船と中国船でした。初めて外国の地を踏んだ、香港への出入り口を探したのですが、とうとう見つけらませんでした。
香港は、すっかり変わっていました。覚えている名前の道を歩いても、昔日の面影はありません。すっかり近代化したビルには、世界中の有名店が軒を並べ、むかしは通じた英語が通じなくなっていました。あふれる中国人を見れば、英語が必要ないことがわかりました。
今まで一度も登ったことのないヴィクトリアピークに行くことにしました。ケーブルカー乗り場は長い列です。ほとんどが中国本土の人です。一時間ほど並んで、やっとケーブルカーに乗りました。急こう配をかなりのスピードで登ります。高層アパートが斜めに見えて、みんな歓声を上げていました。
頂上の駅は。日本と同じで、土産物屋を通らないと外に出られないようになっています。そのビルの屋上に登りました。海、山、高層ビル街が見えて、素晴らしい景色でした。それでも、360度の景観というわけではありません。この屋上より高い場所があって、そこには、砦のような建築物がありました。カフェに入り、英語と日本語を少し話す、老ウエイトレスに、あの建物は何かと聞くと、あれは前にはイギリスの総督が住んでいたと教えてくれました。それで、今はだれが住んでいるのかと聞くと、すこし不愉快そうに、今は中国のお偉方だとつぶやきました。
古い香港人の心境を垣間見ました気がしました。しかし現実は、中国化がどんどん進んでいます。香港返還の時の、一国二制度の約束は、政治力より経済力によって、骨抜きされていくと感じました。
石川恒彦