表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > おせち(最新号 令和8年1月)
今は、お餅もおせち料理も、スーパーやコンビニ、あるいは通販で買ってすます人が多くなったようですが、昭和30年ぐらいまでは、どこの家も、暮に手づくりしてたように記憶しています。
12月に入ると、まず大掃除です。どこの家も畳を上げて、日に当て、棒でたたいて埃を払いました。掃除機のない時代でしたので、畳はたっぷり埃を吸っていました。
私の家では、28日にお餅を搗きました。29日もちは、9が苦に通じる、28日の八は末広がりで縁起がいいと、伝えられていました。朝になると、裏庭のかまどに火を入れ、大きなお釜でお湯を沸かし、その上にせいろを重ね、もち米を蒸らしました。杵と臼を洗い、それをゴザの上に据えて、お米が蒸れるのを待ちます。
頃合いを見て一番上のせいろの米を臼にあけます。杵を持った男が、少しお米をこねると、餅つきが始まります。母がお米を返す役で、男が杵を振り上げると、母はお米の塊を手早く裏返しにします。母がハッといって手を引っ込めると、杵が振り落とされます。ハッ、ペタン、ハツ、ペタンと音がつづき、もちが搗きあがります。
最初のせいろは、鏡餅になります。手伝いの女性が器用にまるい餅をいくつか作ります。次のせいろからはのし餅です。そして、最後のせいろは辛み餅になります。大根おろしにかつお節を入れ、しょうゆをかけた汁の中に、小さくちぎった搗きたてのもちを入れます。それが昼食でした。
餅つきが終わると、おせちの準備にかかります。なます、きんとん、数の子、昆布巻き、松前漬け、黒豆、インゲン豆、サトイモ、田作り、寒天よせ、全部手づくりで、完成品を買うのはかまぼこ、伊達巻ぐらいでした。
松前漬けは祖母の得意料理で、するめ、昆布などをハサミで細かく切って、数の子と一緒にだし汁に漬けていました。黒豆は母独特の調理法だったようで、母が亡くなった後、妹たちが母の真似をして煮ても、どうしても、あのしこしこした味は出ないと嘆いています。
甘酒も自家製でした。麴とお米で作るのですが、温度調節が大変なようで、布団にくるんだり、こたつの中に入れたり、出来上がり具合を見ながらいろいろやっていました。
年越しそばはさすがに出前でした。
元旦は、精進の雑煮でした。昆布だしの汁に、おもちと小松菜と里芋が入っていました。祖母は三が日とも精進にしたかったようですが、母が二日からは、昆布とかつおぶしを入れたつゆに、餅、鳥のささ身、小松菜、里芋、かまぼこを入れました。地方によっては雑煮は文字通り雑煮なようですが、東京の雑煮は簡素でした。
雑煮を祝っている最中にお年玉が配られました。いくら入っているか気にかかりましたが、お餅を食べるほうが忙しかったのを憶えています。年取って、のどにつかえるといけないからと小さく切ったおもちを慎重に食べる姿は嘆かわしい限りです。
大掃除から年越しそばまで、忙しい中に徐々に盛り上がっていく、正月への期待は楽しいものでした。
石川恒彦