表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 御供米(おくまい)(最新号 令和7年5月)
米不足の折柄、農相が「コメは買ったことがない。支援者がたくさんくださる。売るほどある」と、発言して辞職に追い込まれました。
なんとも無神経な発言ですが、私が気になったのは、続けて「もらったお米には泥や石が入っていることがある。精米が大変だ」という段です。
それを聞いて、私は御供米(おくまい)のことを思い出しました。今でも農漁村では、収穫したコメや野菜を一番にお寺に供養する習慣が残っているようです。ある漁村の住職から聞いた話では、魚もよくお寺に供えられるそうです。困るのは〆てない魚を御宝前に供えると、お経の最中に飛び跳ねて、床に落ち、ばたばた騒ぐことだそうです。
〆てから供えればいいじゃないかというと、生きたまま頂いた魚を殺して供えるのは、ちょっと抵抗があるといっていました。
都会でも、戦後少しの間までは、御供米(おくまい)という風習がありました。お寺から御供米袋を貰って、それに一合ほど米を入れて、御宝前に供えるのです。御供米袋は和紙でできた今見るとなかなか立派なもので、何回も使えるようになっていました。
子どもの頃のことで、よく覚えていないのですが、御供米は定期的にするようで、お米の入った袋を供えると、また空の袋をもらって帰るようでした。何日かすると御宝前の御供米袋の米を米櫃(こめびつ)にあけて、庫裏にさげます。いろいろなお米が一緒くたになっています。精米されたもの、玄米、クズ米。そのままでは食べられませんから、一升瓶に入れて、棒で突っつき、精米します。一升瓶に米を入れる専用の漏斗(じょうご)がありました。時間のかかる作業で、ラジオを聞きながら、みんなで突っつきました。
しかし、どんなに一生懸命にやっても、もともとの米が米ですので、美味しい白米はできませんでした。私が、まずいと言いますと、母は仏さまから下がったお米です。そんなことを言ってはいけませんと怒りました。
お米が豊富に出回るようになると、御供米袋の習慣はいつの間にかなくなり、お米は大きな袋で上がるようになりました。
おかしなことですが、お供えは仏さまに供えるのですが、供える方は、供えた後、それを食べたり使ったりする人も視野に入れて供えるようなのです。私は酒飲みですので、私が住職の時は、それこそ売るほどお酒が上がりました。跡を継いだ息子は、アルコールは全然ダメです。すると甘いものばかり上がるようになりました。私が、たまには、俺のところに酒をまわせと言っても回す酒がなかなか上がらないといわれます。
神仏に供え物をしたり、お賽銭を上げるのは、そのこと自体に意義があります。あるいは供え物をして、何か願い事をするかもしれません。その時、彼彼女は天からお金が降ってきたり、病気が突然直ると心の底から思っているわけではありません。祈る心自体が尊く、それが彼彼女に力を与えるのです。
あの大臣も「支持者からお米をいただき、余ったときには、いつも菩提寺に供えています」と言ったら、印象が随分変わったでしょう。
石川恒彦