表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 自尊心(最新号 令和8年10月)
ふとしたことで、昔習ったヒンディー語(インドの国語)の本を手にとりました。読んでみると、ヒンディー語をすっかり忘れていることに気が付きました。インドに滞在していた時は、会話はもちろん、新聞を読んでも困らなかったのに愕然としました。単語だけでなく文法もあやふやでした。そこで土井久弥先生の入門書を書棚からとりだしました。
入門書ですので文法と例文が載っています。日常会話の例が多いのですが。中にはかなりの長さの文章があります。教科書ですから、何かの文献から引用したものでしょうが、むかし話なのか、近代の作家のものか、出典は私にはわかりませんでした。そのうちの一つを訳してみました。
彫刻家のゴーレーラールは自分の死期が近いことに気がつきました。死ねば人々は自分のことを忘れてしまうだろうと考え、12の素晴らしい自分の像を作りました。それらを自分の記憶のために残そうと考えたのです。彫像はゴーレーラールがあたかも生きているように見えました。どの彫像にも一つとして欠点がありませんでした。
ある夜、彼は夢を見ました。15日後に彼は死ぬと。彼は熟慮しました。ひろい部屋に自分の12の像を飾りました。15日目が来ました。彼は死を恐れ震えました。そして、もう少し生きたいと考え、一策を思いつきました。彼は12の像の中に静かに立ちました。運命の時が来ました。閻魔大王の使いがやって来ました。家に着いた使いは戸惑いました。ゴーレーラールが13人もいるのです。どのゴーレーラールを捕まえたらいいのかわからず、使いは閻魔大王のもとに帰りました。
閻魔大王は閻魔帳を見て言いました。ゴーレーラールは優れた彫刻家だ。奴は12の自分の像を作ってその中に立っているのだ。ゴーレーラールが13人もいるはずがないだろう。もどってよく見て奴を捕まえてこい。
使いは再びゴーレーラールの家の前にやってきました。足音を聞いて、ゴーレーラールは震えました。使いがまた来た。そこで前と同じように12の像の中に立ちました。すべて同じでした。使いは13の像のなかから本物のゴーレーラールを探さねばなりません。しかし動かずに立っているゴーレーラールをさがすことはできませんでした。使いは頭を使いました。人間の欠点をついて、彼は言いました。お前は名人だ。まったくだ。一つだけ欠点がある。それがなければ像は生命を得るだろう。
ゴーレーラールにはこの評が公平でないように思えました。思わず口にでました、どこに欠点があるんだ。使いは直ちに、それまでと、彼を捕まえました。本当のところ、ゴーレーラールの彫刻には何の欠点もありませんでした。欠点は彼の心にありました。彼は自分の作品に自信を持っていました。それに批評を聞いて黙ってはいられなくなったのです。捕まりました。
人は褒められれば有頂天になり、けなされれば怒髪天を突きます。毀誉褒貶(きよほうへん)にたやすく影響されずにすんだら、捕まることもなっかたでしょう。
どうも拙い訳で恥ずかしい限りです。悪口を言われても私は怒りません。
石川恒彦